そこそこの年齢に達した健康な男女なら、お目当ての異性と身体を交わり合わせたい、気持ち的にも性的に愛し合いたいというのは、どのような人でも抱く根源的な欲求ではないでしょうか。
そうしてリアルにそれが叶えられれば、男女ともに大きな満足と幸福感を味わい、こうした性的な満足を手に入れたいと願う気持ちが「性欲」と言われています。
精神学や医学における性欲
ジークムント・フロイトが創始した精神学では、性欲を「性的欲求を満たすことを目的とした強い衝動=リビドー」と定義されています。
それから人間の行動や人格形成のさまざまな部分にこの「リビドー」が関わりあっていると考えましたが、その後の学者によって適格性に欠ける部分もなにかと指摘されています。
近年の医学的・生物学的な説明では、性欲は脳内物質と関連づけて説明されることもあり、いずれにしましても、まだまだすべてが解明されていないのがこの「性欲」だったりします。
なかなか「性」に関しての研究も、研究費が下りにくそうなテーマであるかもしれませんので、私達が生きている間にすべてが解明されるかと言うと、なかなか難しそうです。
個人差の激しい性欲
人間が身体的な第二次性徴(思春期)を迎え、精子の製造や卵子の製造を開始し、生殖能力を獲得したときに「性の目覚め」が引き起こされるとされます。
けれども、思春期のそれ以前から性欲を自覚する人も多くいらっしゃいます。
まだ性行為についての知識を持たない幼少期に、自分の性器を手でいじくってお母さんやお父さんから叱られたという経験を持つ人もかなりいるかもしれませんが、これは人間の性欲というものがそれだけ強く根源的なものであるという証明だと言ってもいいでしょう。
それとは逆に、思春期を迎えても環境などによっては性に目覚めない、というパターンだってあります。
また、うまれつき、はたまた育った環境や育つ過程で起きた何かしらの事件がきっかけとなって、生殖には結び付かない=俗にいうノーマルじゃない性欲を身につける人もいらっしゃいます。
同性に対して性欲を感じたり、生殖能力のない幼児が性の対象になったりします。
そういったジャンルの性癖にどうこう言うわけではありませんが、これは、それだけ性欲については個人差が見られるということの表れだとも考えられます。
忌避された性欲という感情
人間からすれば性欲は生殖のためにもなくてはいけない根源的なものであり、それと同時にずいぶん個人差、個性のあるですよね。
この個人差も理由となって、性行為は開けひろげに他人に見せるものではなく隠すべきもの、恥ずべきものとされてきたのです。
例をあげると世界の多くの宗教で、性欲は悪とすらされ、キリスト教は色欲を人間の七つの大罪のーつとしていますし、仏教においても修行を妨げる煩悩の一種とされ「不邪淫戒」という戒律もあります。
けれど、性欲は種の保存と繁栄にとってなくてはならないものですし、セックスを通して次の世代の人間が生まれなくちゃ、宗教だって成り立ちませんよね。
性欲は生殖本能なのか
それでは、セックスは子孫を残すためにだけするものなのだろうか。
性欲というのは人間の動物としての生殖本能の表れだとする説は根強くありますが、上にも書いたとおり人間の性欲は非常に複雑なものです。
同性愛や小児性愛など、生殖に結びつかない性欲も存在しますし、女性の下着や使用済みナプキンなどの「モノ」に興奮するフェティシズムなどは、性愛の対象が人間ですらありません。
これらの変形された性欲「アブノーマルな性欲」は、人間だけのものではなく、同性に欲情するなどは一部の動物などにも見られる現象だったりします。
性欲というのは、他の欲求とも相互に影響しあって、バラエティーに富んだ形をとって表面に表れます。
その意味では、性欲は一概に生殖本能だとはいえないことになります。
けれど、大好きな人と子供を作る性行為にはただの性交の肉体的よろこび以上の幸福感をおぼえるのも確かなことです。
繁殖としての性欲というものがいかに変形されることがあっても、性欲の根源の部分には種の保存のための本能があることは紛れもない事実なのです。
まだまだ性欲というものに関して解明されていない部分が多くありますが、好きな人やお目当ての人と、セックスをする機会を手に入れたのであれば、難しいことは考えず素直に自分の性欲の通りにその尊い時間と感情を楽しめばいいと思います。